さようなら平成。こんにちは令和。

「平成最後の」っていうフレーズがうざくて冷めてる俺ですが、改元にあたって折角なので想いを記しておこうと思います。

 

まず私は平成と同じ年齢なので自分の年表とリンクしていて、平成のなかで共に1つ1つ数字を積み重ねてきた感覚があります。

 

覚えやすいので何かしら書類に記入する時に便利だなと。笑

 

さておき平成を振り返ってみると、情報革命が起きてテクノロジーが急速に進んだ非常に激動な時代でした。

 

 

平成はじめ1990年頃にWWWが誕生し、1995年になるとWindows95が出てきて。これが家庭にコンピュータが普及するキッカケに。

 

記憶が曖昧ですが、確か小学校に入る前後まだ6歳ぐらいの頃、クレイジーな親父だったので、もう既に家にコンピュータがありました。

 

生まれつき耳が聞こえない私は、そのコンピュータを使って発音の練習をしていました。マイクに向かって発音をし、正しい発音が出来るとゲームクリア、発音が悪いとゲームオーバーになってしまう、そのようなゲームでした。当時はガキなので何とも思わないわけですが、今思うと最先端だなと。笑

 

そして9〜10歳の頃、カナダへ移住することが決まり、学校の先生に報告すると、離れても連絡できるようにEメールやりとりをしよう!と提案してくれて。そこでEメールの書き方、送り方を教わりました。今では当たり前になった国境超えて連絡をとる体験は、この時が初めてでした。

 

カナダ移住してからは日本の情報が恋しくて、リビングにあるコンピュータで毎日インターネットに接続して日本の情報に触れていました。ブログという概念がまだなかった当時、中田ヒデがブログを始めたので、それを読んでいたり。

 

残念ながら初めてインターネットに触れた時の記憶がないのですが、当たり前のようにインターネットがあるという感じだったのかな。


でも変圧器バカでかかったのと、LANケーブルを繋げて外しての作業とかは覚えています。当時、日本の世帯におけるインターネット普及率はまだ10%台でした。

 

13歳の頃に日本へ帰国した時、街中で携帯電話を見かけて、なんだ!あれは!日本いつのまに進んでんだ!?と思ったのを覚えています。

 

当時、iモードやら生み出した日本はまだ世界で勝てている存在だったのですが、そのソフトウェアな世界に日本は乗れず衰退していった。なので2000-2001年あたりが分かれ目だったかなと。その後はGAFAやらソフトウェアの世界になっていくわけで。

 

それからiPhoneが出てきたのは19歳、大学生の時でした。当時付き合っていた彼女がiPhoneを購入して。初めてiPhoneに触れた時、感動してやべえ!と衝撃を受けました。これ世界が変わるんじゃねえかって。

 

大学卒業後は国内の大手インターネットサービス企業へ入社、数年間働いた後は外資系企業へ転職、エンジニアとして進歩していく最新のテクノロジーに向き合う毎日です。

 

30年近く続いた”平成”が今日で終わりを告げ、明日から”令和”に突入します。さらに激動な時代になっていくであろう令和。


どんな時代になるんだろうかと考えた時、テクノロジーと金の教養がないと、キツくなるんじゃないかと個人的に感じています。お金の勉強は2019年の最大のテーマとして取り組んでいます。

 

AIが現在のインターネットのように生活に溶け込み、AIと共動・共生するようになると思っています。それによって令和では間違いなく今では想像できないことが起きるのは確実でしょう。

 

平成突入時は生活にインターネットもコンピュータもスマートフォンもなかった。昔では考えられなかった様々なことが可能になってきた、このエキサイティングな時代を楽しみながら生きていきたいと思います。

 

さようなら平成。こんにちは令和。
2019.4.30